中学生の頃、ベランダから外を眺めているときに自分って何だろうとぼんやり考えていたことがある。自分が誰かということではない。自分の身体があって、意識があって、自分と自覚している。この自分を自覚している自分って何だろうと考えていて、すごく不思議な感じで何とも言えない気持ちになったことを覚えている。
意識とは
意識は日常生活でもよく使う。「練習のときにもっと意識してみよう」とかは、注意に近い。「意識がない」とかは気を失っている状態。この「意識がない」という状態と睡眠は同じではないけど、寝ているときも意識はない。何か作業をしていて、「無意識」にしていることもあるが、このときは気を失ったり、寝ているわけではない。
意識は自分の周囲の環境と私たちの内部状態を把握させるものと一般的な定義されている。専門家や学者の中でも定義することに苦労しているらしい。
統合情報理論
意識の定義がはっきりしない中でも意識の有無は知る必要があり、意識に相関した脳活動を特定する必要があるが、意識は単純に脳の活動量だけでは測れない。そこでイタリアのジュリオ・トノーニによって提唱されたのが統合情報理論(IIT: integrated information theory)。情報の多様性と情報の統合から意識の量を定め、φと呼ばれる単位で定量化しようとしている。ここでの多様性とは色々な信号があること、統合は1つの信号が他に影響を与えて連鎖反応することらしい。なので、全部が同じように反応をする信号ばかりだと多様性がないし、ある刺激でわすかな部分しか反応しないなら統合していない。例えばデジカメを考えると、CMOSセンサーの各素子が各々情報を持っているが、一つの素子が他に影響を与えることなく独立していて、この場合は統合されてないと言える。
自分なりのこの理論を解釈して図式化したものが以下の図。人は無意識のうちに色々な判断を日常でしている。その中で一部分が意識として現れてくる。

意識レベルの測定
今回意識について書こうと思ったのは、以前「意識はいつ生まれるのか」を読んでから意識について興味を持っていたが、MITレビューで以下の記事を見て、改めて整理したいと思った。以下の記事では、この本の著者もマッシミニ博士が、脳波記録から摂動複雑性指数(PCI:perturbational complexity index)で値を測定するような装置を研究しているとのこと。完全に意識がないと考えられていた43人のうち、閾値を上回る人が9人いて、そのうち6人は実際にテストの半年後にはかろうじて意識があると分類されるまでに改善したらしい。意識の有無を証明したり、コミュニケーションをとったりする他の方法がないので、この真偽は不明ではあるが、結果は興味深い。
この統合情報理論は賛否両論で、そもそも意識を情報をベースに定義すること自体への異論もあるらしい。ただ、もし意識レベルが測定できるようになると、この記事のように意識がない人も実際にまだ回復するかもしれないと期待が持てるかもしれない。逆のケースもあり、その結果を受け入れられなかったり、この理論そのものが意識との相関が何故あるのかを説明できないと、それを信じていいのかどうかという問題もでてきそうな気がする。また、もともと意識が外界と自分の内面を把握するようなものだとすると、その観点での評価というものは難しいので、この定義の範囲内ならこういう測定ができるということになるのかな。